"釈迦如来坐像" の検索結果 16 件

  1. 光雲寺の本堂に釈迦如来と十大弟子の二尊【霊芝山光雲寺を訪ね-Ⅴ-】

    光雲寺の本堂に釈迦如来と十大弟子の二尊【霊芝山光雲寺を訪ね-Ⅴ-】

    過去に参拝したことがない寺院を訪れて際に必ず確認するのが本尊。寺院によってさまざまで、また宗派によって異なる場合があるので確認は欠かせない。事前に調べていく場合でもできるだけ確かめる。まして大きい寺院になると本尊の両脇に仏像が並んでいる場合も多い。その仏像の名前も知ることで本尊への興味が増す。 前回紹介した御寺泉涌寺も三世仏として三尊が並んでいた。シリーズで紹介している「光雲寺」の本尊は釈迦...

  2. 浄真寺・龍護殿

    浄真寺・龍護殿

    12月2日に九品仏駅近くの浄真寺に、紅葉を楽しみに来ました。大きな建物の龍護殿の中に入りました。九品堂の阿弥陀如来に対面するように、大きな釈迦如来像が金色に輝いています。横から見ても、良いお顔をしています。賓頭盧尊者。五劫思惟像。釈迦如来像の後ろにあった絵。腕にWBを合わせてみた。

  3. 宝冠釈迦如来(浜松方広寺)

    宝冠釈迦如来(浜松方広寺)

    釈迦が仏になる前の姿だと見れば凛々しい元常州にあった、徳川光圀が修復させたとある1352年、院派の仏師集団の作である鯵庵(4.2.22)

  4. 銅製釈迦如来(蟹満寺)

    銅製釈迦如来(蟹満寺)

    銅製の釈迦如来像南山城の仏教文化のシンボルである鯵庵(4.2.21)

  5. 橘寺(高市郡明日香村橘)

    橘寺(高市郡明日香村橘)

    橘寺(高市郡明日香村橘天台宗) 上宮皇院菩提寺という。古い記録には「橘尼寺」の名も見える。聖徳太子創建七ヶ寺のひとつで、天武天皇九年(680)に橘寺の尼房十房が焼けたことが記され、その頃までに成立していたことは確かである。東西八町、南北六町の広い寺域をもち、六十六の堂塔坊舎をかかえていた。鎌倉時代からは、太子信仰の隆盛に合わせて栄えたが、永正年間(1504~21)に多武峯衆徒の焼討ちにあって...

  6. 愛くるしいお姿の阿弥陀如来坐像印仏(浄瑠璃寺伝来)のご紹介。

    愛くるしいお姿の阿弥陀如来坐像印仏(浄瑠璃寺伝来)のご紹介。

    ・写真の印仏は、前にご紹介の京都府木津川市加茂町にある浄瑠璃寺さんの阿弥陀如来坐像(平安時代作)の体内に納められていたというものです。日本最古の仏教版画と言われています。・ご紹介しています印仏は、三列四段の十二体一版の版木を縦横連続して押したものの断簡です。(百体一版のものも摺られています。)・優しく愛くるしいお姿の阿弥陀さんです。心を温かく包んでくれます。見飽きない平安時代の名作。幾一里で...

  7. 境内には数々の祈りの場がある。【川崎大師】

    境内には数々の祈りの場がある。【川崎大師】

    川崎大師の境内には大本堂をはじめ数々の祈りの場がある。その一つが高くそびえる「八角五重塔」、そして「降魔成道釈迦如来像」や「祈りと平和像」などで、その前に立つと自然に手があわさる。 八角五重塔は、普通の五重塔よりも美しく見える。通常の五重塔は四角仏塔の基本形で五重の屋根を持つ。下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し...

  8. 釈迦如来

    釈迦如来

    鯵庵(2.10.7)

  9. 阿弥陀如来

    阿弥陀如来

    嵯峨釈迦堂は清凉寺という源融(52代嵯峨天皇の皇子)の供養のために作られたという阿弥陀三尊が引き継がれているこの阿弥陀如来(国宝)は源融(光源氏のモデルとも言われる)に似せたと言われるが・・?鯵庵(2.7.28)<閑話休題>震源地は東京だという・・今度のコロナは日本製だというその専門家の警告も多くは無視されている感がある疫病の蔓延は昔から首都の宿命でもあるそんなことがあっても人は都市を捨てな...

  10. 阿弥陀如来(嵯峨釈迦堂)

    阿弥陀如来(嵯峨釈迦堂)

    鯵庵(2.6.7)

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